柔道整復師・鍼灸師 藤井憲之
経歴
- 行岡整復専門学校 卒業
- 明治鍼灸東洋医学院 鍼灸科卒業
- 大阪 柳接骨院勤務(昭和59年)
- 姫路 藤井接骨院勤務(平成2年)
- 加古川にて藤井接骨院を開業(平成3年12月)
※院名を「ふじい整骨院」へ改名(平成18年7月)
資格取得
- 柔道整復師
- はり師
- きゅう師
- ケアマネージャー(介護支援専門員)
所属団体
- (公社)日本柔道整復師会 会員
- (公社)兵庫県柔道整復師会 会員
- 日本柔道整復接骨医学会 会員
- 日本超音波骨軟組織学会 会員
表彰歴
- (公社)日本柔道整復師会 近畿学術大会 3回以上発表者表彰(2011)
- (公社)日本柔道整復師会 近畿学術大会 6回以上発表者表彰(2014)
- (公社)日本柔道整復師会 近畿学術大会 9回以上発表者表彰(2019)
- (公社)日本柔道整復師会 永年業務表彰(入会 30年)(2019)
プロフィール
私は親子3代治療家の家系に生まれました。
父は、本当に仕事人間の真面目な人でした。
休みの日も患者さんからの急患のコールは、決して断ることなく診ていました。
子どもながらに、「遊んでくれない父親だ」と思っていましたが、自分が開業して分かったことは「本当に患者さん想いの父親だったんだなぁ」ということです。
そんな父を尊敬していましたが、自分に果たしてそのようなことができるのか全く自信がありませんでした。
高校を出てすぐに父の家業を継ぐつもりで、大阪の接骨院に住み込みで働きながら専門学校に通い始めました。
朝は接骨院の仕事を手伝いながら昼からは学校へ通い、学校が終わればまた院に戻り仕事を手伝うという日々が続く中で、医療人としての基礎を院長先生から学ぶことができました。
そして、柔道整復師の資格をとるための国家資格試験直前のことです。
受験へのプレッシャーが原因で胃潰瘍を患ってしまいました。
院長からは身体を壊したことで自宅に帰るように勧められましたが、将来父親のように患者様をしっかりと治せる治療家になりたかったので、痛む胃を抱えながらも仕事と勉強を両立させ頑張りました。
院長の奥様にも支えていただき、胃潰瘍も克服し、国家試験もなんとか無事合格できました。
その後、新たな資格を取るべく鍼灸の学校にも通い、鍼灸師の資格を取り、本格的な接骨院での仕事が始まりました。
最初は柔道整復師として治療に携わることにかなり戸惑いましたが、約5年もの間お手伝いをしながら研修を重ねてきましたので、徐々に自分を頼ってくださる患者さまも増えていきました。
研修先の接骨院での研修が続いていた6年目のことです。
父の友人の先生が接骨院を移転するので「そこを引き継いでやってみないか」という話しが舞い込んできました。
自分としては、まだまだ研修が足りないと感じていましたが、「これまでやってきたことを続ければ、必ず患者さまに喜ばれる院を作ることができるはずだ」と、悩んだ末にトライしてみたいと思うようになりました。
その後退職し、故郷の姫路に帰り早速開業準備をしました。
以前開業されていたところであったものの、院はビルの2階でエレベーターもなく、患者さんは急な階段を上がらないとたどり着かないという、条件としてはあまり良くないところでもありました。
しかし、場所は悪くても来ていただいている患者様は本当に有り難く、毎日の臨床の中で分からないことは自分で調べては学び続けていた矢先のことです。
2歳年下の弟が交通事故に遭い、急死したのです。
家族は悲しみにくれ、母親は悲しみの中でうつ状態となってしまいました。
長兄として、そして家族の一員として頑張らなければいけないとその時心を決めました。
「弟の死を胸に刻み、彼の代わりに家族を支えよう」と愛してやまない治療院をしめて、実家に戻ることにしたのです。
実家に帰って仕事をする日々の中、私も少しずつ落ち着いてくると、最も近くに最高の先生がいることに気づきました。それが、父親でした。
父は、患者さんには時に厳格であり、時に優しく対応していました。まさに患者さんと寄り添っていました。
そのような中で私のことを慕ってくれる患者様も増えて、治療家として自信を取り戻すことができました。
そのころ、母親の心の傷も徐々に癒えて、うつ状態も楽になっていったのです。
そして順調に父親と仕事をする忙しい日々を過ごしていた頃、自分の中でもう一度チャレンジしたい気持ちがわき上がってきました。
父を超えることはできないかもしれません。しかし、このまま父と同じところで仕事を続けることは父にいつまでも頼ることにもなります。
本当の実力をつけるため、もう一度開業し、ひとりで道を切り開く苦労を味わってみたくなりました。
そのことを父に話すと快諾してくれました。
そこからまた開院する場所を探す日々が始まりました。
そんなとき、「加古川に良いところがあるので、そこで探してはどうか」とある方からアドバイスをいただきました。
加古川には身寄りは誰もいませんでしたが、実際に行ってみて街並みやまわりの雰囲気を見て、ここしかないと一瞬で決めました。
そして、
「来院された患者さんは、本当に大切にしよう」
「私にできることは、全部出し切って精一杯治療をしよう」
そして、
「治療だけではなくて心からほっとしてもらえる空間にしよう」
そう思い続け今の院をつくってきました。
そして、開業して1年後、辛くて貧乏な時代を支えてくれた妻と結婚しました。
大阪での修業時代に同じ接骨院でアルバイトをした経験がある妻とは、今でも仕事について熱く意見を交わす(時に戦う)パートーナーとして共に患者さまの治療にあたっております。
その後多くのスタッフにも恵まれ、加古川で開業して約30年の月日が流れました。
おかげさまで、修業時代から現在までにのべ約50万人の方の治療に携わることができました。
これまでの出会いに感謝しつつ、これからもお一人お一人に寄り添った治療を提供するため、また昔と変わらず技術の研鑽は惜しまずに続けて参ります。
院長 藤井 憲之