私のベースは、ほねつぎにあります。いわゆる柔道整復師が行う整復・整体です。祖父は、整体師でした。そして、父親は昭和の生んだ名柔道整復師、“ザ・ほねつぎ”でした。父が継いだ骨はほぼズレもなく、医科の先生に「レントゲンをお願いした時にも、どこが折れていたかわからないぐらいだ」と称賛されたこともあります。あるドクターは、「これは捻挫?だと思いました。」とレントゲンを診て、間違われるくらい正確に骨を接いでいました。
そんな父親を幼いころから見ていた私は、「将来はいつか僕もなりたい」と思っていました。

社団法人 兵庫県柔道整復師会 学術部企画2010

温故知新「匠の技伝承プロジェクト」記事より抜粋

〜エピソード〜 語り:父:憲次

昭和42年の出来事である。T病院勤務時代に、ある女の子が運び込まれてきた。前腕二骨骨折であった。病院長の指示であったが、レントゲン技師と相談しなら、整復を行なった。その整復と処置が成功し、女の子の手が治癒した。
そのことを病院長が認めてくれ、それ以降私と同僚のS先生に、すべて手術適応骨以外の骨折(橈骨・前腕二骨・鎖骨・大腿骨骨折など)を任せられた。中には、交通事故で運ばれた子供の大腿骨骨折を手術なしで、整復し治癒した症例もある。
当時は、よく手術もあったが無血整復にて、治癒する過程をドクターが認めてくれた出来事で、任せていただくことが出来た。いい経験を積んでこれたと思う。

父1
父2
<症例>右手首:橈骨骨端線での完全骨折
橈骨骨端線での完全骨折症例1
橈骨骨端線での完全骨折症例2

父を信頼する患者さんたち

短い期間でしたが、父といっしょに仕事をした期間があります。大阪からの修行(勤務)を終えて、姫路で開業する父の接骨院(実家)で働きました。日々、通院される患者様さんは、昔から通う患者さんも多く、父のことを信頼して通う方ばかりです。
日々の施術を通じて、「楽になった」「痛みがなくなった」と口ぐちに語る患者さんを見ていると、このレベルに達するには時間がかかるなと思ったものです。
ほねつぎは、骨を接ぐだけではありません。腰が痛い。首が痛いと日々痛みを訴えてくる患者さんを、独自の手技(あえてこう表現させていただきます)を加えて治していくのです。
正直、はたから見ていても何をして治したか分からない技(手技)もありました。整体なのか?活法なのか?父オリジナルの方法だったのだと思います。

医療家としてのベース 大阪修業時代

大阪で修業をした6年間は、今の医療家としてのベースでもあります。
恩師は、柔道整復師の柳英治先生です。今も大阪枚方市楠葉の地で、息子さん(整骨の学校の同級生)といっしょに仕事をされています。先生からは、接(整)骨の技術だけでなく、医療人として、人間としての基礎を教わりました。今の私のベースです。先生から「笑顔を大切にしなさい。愛を持って患者さんに接しなさい」いろんなお言葉をいただきました。

柳接骨院で住み込み修業

当時、学生のころから「柳接骨院」の治療所の2階に住み込みで、学校に通いながら働いて(修業)いました。最盛期の接骨院の時代です。来られる患者さんは、1日に200名を超える日もありました。
学校を卒業し、そのまま柳接骨院に入職した私は、先輩が次々と開業していくこともあり、若干25歳で主任的な立場で仕事をさせていただきました。
後から入って来た柔道整復の免許を持った先生は、ほぼ年上の先生方も多くおられたので、そのあたりは正直苦労したところもありますが、充実した仕事をこなしていたと思います。

先輩と深夜に骨折の整復

骨折・脱臼・捻挫の外傷患者さんも当時多くの方が来院されました。ものすごく勉強させていただいたと思います。
ある日、住み込みしている治療の2階に、急患で夜遅くに電話が鳴りました。院長先生は所要でおられないし、自宅から通いで来ていた先輩に電話をして、急患対応となりました。急患の方は、10代の女の子でした。外見から明らかな肘の異常所見です。先輩と深夜10時過ぎに骨折の整復を行い、応急処置を行いました。(結局、その子は信頼のおける医師へ紹介し、手術を受け治癒しました)

肘内障(ちゅうないしょう)治療が得意になったわけ

「肘内障」という子供の脱臼があります(正確には亜脱臼状態)。
(*「脱臼の症状と治療」のページ、「肘内障について」参考)
不思議に、続く時には続くものです。
土曜日の休診の時間に電話が鳴り、親御さんから「子供の手を引っ張ったら、手を動かさないので診てほしい」とのことです。その時は、状況から肘内障だろう と思考し来院してもらうと、やはりそうでした。脱臼の整復を行い、処置を行ってしばらくするとまた電話が鳴り、「子供の手が動きません」とのこと。来院し てもらうとやはり肘内障でした。
その日なんと同じ事が3人続いたのです。
3〜4時間ぐらいの間に3人の幼児の肘の脱臼(肘内障)を整復・処置を行ったのです。おかげで今でも肘内障は得意となりましたが、現在は救急医療機関も整備されたせいか、そのようなことはなくなりましたね。

現在の整骨院(接骨院)に、あまり無いことかもしれませんが、当時は、消防の方から救急車でギックリ腰の搬送受け入れの電話が鳴り、担架で院内に運 ばれてきた患者さんもおられました。その時、私が受け入れ後のサインをしましたが、治療後にその方は歩いて院から帰っていかれました。

毎日一生懸命

子どもの手首を骨折した患者さんを、初めて整復した時の事です。
先輩の先生方、院長先生の整復の方法を日頃見ていた私は、イメージしながら一生懸命整復と固定をしたと思います。院長 柳先生の御父様が開業している医院へ車で搬送して整復状態をレントゲンで確認していただき、良好であったときは安堵しました。

毎日一生懸命でした。包帯を替える時も絞めすぎていないか、「何かあったら治療所の2階に住んでいるので電話して来て下さい。」と患者さんに声かけをして、必ずその日の夜は出先でも、変わった事がないか患者さんの家に電話を入れて、状況を確認するなど心配な日々でした。
肩の脱臼を整復した時もそうでした。整復方法は学校で教わっていましたが、やはり現場とは違います。先輩が整復する状況を見ていた私は、なんとか整復することが出来ました。一度整復すると自信がつくものです。中には整復障害といって、なかなか整復できない脱臼もある中、幸いにも一度もそういった整復が出来なかった例に遭遇していないのも幸運なことかと思います。
整復方法は、出来るだけ肩関節周りの軟部組織を損傷しないように、愛護的に行う事が基本です。整復方法も一つの方法でなく、いくつもの方法を熟知しているといざという時に役に立ちます。

早朝往診の懐かしい思い出

そう言えば、開業間もない頃、「肩を脱臼した」と治療所に電話が鳴り、自宅まで脱臼を整復するために往診したことを思い出しました。
その方は、初めての脱臼ではなかったのですが、朝5時ごろに寝返りをした時に脱臼したそうです。我慢しきれず、救急車を呼ぶ前に電話帳(当時)で当院をみつけて連絡してきたようでした。何だろうと電話を取って、電話の向こうで困っている状態が確認されたので、自家用車を走らせました。懐かしい出来事です。

柳先生の患者さんに向かう姿勢から得たもの

研修(修業)時代に毎晩、洗濯した包帯を院内に干して、朝乾いた包帯を包帯巻き器で丸く巻いていく作業、自家製湿布を作成してラップにくるみ、その日来院される患者さんの枚数分を用意しておくなど懐かしい光景が今でも思い浮かばれます。
院長 柳先生の患者さんに向かう姿勢は、今でも自分の手本となっています。必ず重症患者さん、自分の範囲では手に負えそうにない患者さん(手術適応の方など)は、自家用車で信頼のおけるドクターに診せるために病院まで自ら連れて行かれたり、紹介するなどしておられました。その時はそれが普通かと思っていましたが、実際には周りでそんなことをしている接骨院はなかったです。
私もそんな姿を見ていて、柳先生と同じように当時近隣の医院に足を負傷した患者さんを紹介・送りに行ったときですが、その医院の入り口がちょうど2階にあり、階段でしか上がれない(エレベーターもない)ところを、背中に背負って上がったこともありました。若かったから出来た事かもしれませんが…
また、柳先生の御父様が開業している医院まで、骨折患者さんのレントゲン検査に当時乗っていた自家用車を出して、送り迎えをしていたこともありました。
研修(修業)時代は、懐かしくもあり辛い時期もあり、楽しい時期でもありました。今の自分があるのはその時のお陰と感謝しております。

修業時代1
修業時代2